異なるユーザー体験が同じ海馬にしまわれること

  • 2017.08.25 Friday
  • 21:30

先日、数年前に作ったパラノイアOのハウスルールと専用キャンペーンシナリオのセットをひっぱり出して開催する機会がありました。

ミニマローグの前身の前身くらいの、乱数を1d6±状況補正で管理し、世界観やキャラクターステータス周りを単純化してゲームの高速化と自由度の最大化を企てたものです。

 

 このルールやミニマローグのルールは、電子ゲームの主要な計算エンジンとなる計算機(ここではノイマン型コンピュータのこと)が桁数の多い計算や条件設定が単純で回数の多い計算を得意とすることに対して、TRPGでは主要な計算エンジンが人間の脳(ここでは非ノイマン型、あるいはニューロコンピュータとしての)であるため、桁数が少なく条件設定が複雑で回数の少ない計算に比重をよせたほうが処理が早く負荷が少なくて良いのでは?という素朴な思想に基づいています。

 

 ところが、冒頭お話ししたキャンペーンシナリオを遊び終わったあと、ずいぶん楽しく心に残った冒険後にありがちな、いつまでも物語を振り返ってすみずみまで余韻に浸り、それが日をまたいで続くような感覚を感じているときのことです。

その余韻が遠のいて冷静になっていくにつれ、それはTRPG特有の体験ではなく、電子ゲームを夢中になってクリアした時にもしばしば感じるものではないかと思われました。

 

 こういうことを考えるとき、人間の脳はさっそく無意識に色々な類似の体験を関連づけようとするわけですが、思い当たる体験は実に多く、熱中した小説のあとがきを読んでいるとき、映画のスタッフロール、楽しい仕事や旅行や休暇の後など、枚挙にいとまがありません。

 

 電子ゲームであれ、非電子ゲームであれ、その他であれ、それぞれ全く異なった仕組みを持って成立し、異なった体験をもたらすものでありながら、ある一定の余韻の感覚において共通しているというのは、なんだか興味深いことです。

 

 人は人生において宝物のような経験をするたび、それを同じ心の部屋に置くのかもしれません。ミニミニ。

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